「マイ・プライベート・アイダホ」
2005年5月1日
←1991年当時、日本ではリバー&キアヌの人気が絶大だったこともあって(ホントだってば!)、本国より異例の先駆け公開となり、主演のリバー・フェニックスもキャンペーン来日してくれた(そして通訳は戸田奈津子さんだった…)ガス・ヴァン・サント監督による青春カルトロードムービー。残念ながら日本版DVDは現在廃盤ですが、米国では今年3月「2枚組、映像特典付き、スーパーワンダフリャジャケット」にてリリースされ、かなり売れてます。待ってたのは米国人も同じだったってこと。ちなみに私はこのUS版を買うかどうかで悩んでます。リバー&キアヌ主演映画である以上、我が日本でこのまま廃盤なワケないですし、シネフィルイマジカやハピネットあたりが再リリースしてくれるんじゃないかと思っているからです。あ、その際は特典はもちろん、絶対にスーパーワンダフリャジャケット、日本語吹替付き(リバー→森川智之、キアヌ→宮本充でよろしく)でリリースして下さいよ!頼みますよ!…ゆ〜び〜き〜り〜げ〜ん〜ま〜んっ!
↓スーパーワンダフリャジャケットってこれ(amazon)
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キアヌの話を(うっかり)書き続けたせいなのか、愛する故リバー・フェニックスを思い出し、ここ数日、たいへん切ない気持ちになってしまいました。
リヴァァアアアアァア!!
マイスゥウィ〜〜トハァアアァト!!…落ち着け!>自分
■「マイ・プライベート・アイダホ」My Own Private Idaho(1991・米)
IMDb→http://us.imdb.com/title/tt0102494/
監督:ガス・ヴァン・サント
脚本:ガス・ヴァン・サント
出演:リバー・フェニックス、キアヌ・リーブス、ジェイムズ・ルッソ、ウド・キア
上映時間:102分
ストーリー:
米国シアトル。両親に捨てられ、睡眠発作症(ナルコレプシー)という持病を持つマイク(R・フェニックス)は、男に体を売って生活をするストリートキッズ。ポートランド市長の息子で裕福ながらも同じくハスラー(男娼)として過ごすスコット(K・リーブス)と、いつも行動を共にしていた。そんなある日、ふたりは盗んだバイクで、マイクの母親探しの旅に出るが――。
公開されたのはちょうど夏休み、外書講読レポートを徹夜で仕上げた友人Rちゃん(キアヌファン)と私(リバーファン)は、死ぬほど暑いあの京都の街をほっつき歩きながらもイソイソと某映画館まで観に行き、鑑賞後に大ショックを受け、そのまま三条京阪の「京はやし屋」へなだれ込み、閉店になるまでの約1時間30分、抹茶パフェを食べながら、侃々諤々・喧々轟々と大激論を交わした思い出の衝撃作。
リバーにとっては「スタンド・バイ・ミー」「旅立ちの時」に続く代表作であり、脱アイドル化を計って大成功し、数々の映画賞を受賞、キアヌにとっては20代に出演した中で最もその演技が褒められた(これか「リバース・エッジ」よね)、私も当時のヤツには一番よく合ってた、本当にリアルだったと今でもしみじみ思う作品であり、監督のガス・ヴァン・サントが彼らふたりの共演を願ってやまず、出演が決まったときは「夢のようだった」とまで語り、実際に出来上がった作品を観れば、たしかにリバーとキアヌ以外の配役では考えられない仕上がりで、さすが手垢のついてない若手俳優に等身大ヤングアメリカンを演じさせたら、右に出るものはいない(でもたぶん左にはジョエル・シューマカーがいる)監督だ、と私を唸らせた1本でもあるのですが。←すみません、一文がめちゃ長いですね。
男娼だのゲイだのドラッグだのを描いているので、どうしても観る人を選んでしまうのは否めないし、ガス・ヴァン・サントの特徴――説明的なセリフ一切ナシ、ドキュメンタリー風でシチュエーション垂れ流し的展開、独特の飢え(「うえ」ではなく「かつえ」と読んで下さい)と渇きとザラつきが感じられる映像、普遍的な、それこそどこでにもあるだろう米国の風景の中に、ショッキングな題材をごく普通かつ日常的なものとして織り込みながらも、伝えたいこと/メッセージは意外にシンプル、そして時間軸がはっきりしない演出ー――がニガテな人にとって、本作はツライ出来でしょうね。スクリーンに映し出されているものというより、その向こう側を観るつもりでいないとかなりしんどいと思う(自己のアイデンティティや愛を求めるストーリーは普遍的とはいえ、この映画の彼らと自分とは境遇が違い過ぎるってのもあるしね)。
1本通して観れば、リバー演じるマイクの心の旅が常に描かれているけれど、実際に彼らが旅に出るのはかなり経ってから。それまではマイクやキアヌ演じるスコットや立ちんぼ仲間たちの日常が中心的に描かれていていて、中でも私が(当時)一番ショックだったのは――プロローグ直後、「立ちんぼ」リバーが買われた客に*****されてたシーンでしょうかね。リバーってあんな表情するんだと、うら若き乙女(いやヲトメか)だった私は仰天したもんスよ。でもノッケからソレだったおかげか、あとはとくに驚くこともなかったのに、キアヌとリバーのガップリ四つに絡んだお仕事シーン(…)がいきなりキューブリック風(連続静止画)にまとめられていたところで、思わずエキサイト。いくらそんな演出を監督が狙っていたとしても(実際たしかに効果的だったけれど)、やはりいち女子としては「コラ!もっと見せんかいっ!」。…DVDが出たら、Let’sコマ送り!
…マジメに感想を書きましょう。
リバー自ら脚本を手がけたという焚き火のシーンが、とても切ない。スコットに「男と寝るのは金のためなだけだ、男同士は互いに愛せないんだ」と云われながらも、彼に愛してもらいたい、そばにいてもらいたいマイク。結果的に残酷とも云えるむごい仕打ちを受けながら、それでも彼はまた空の下に立ち――そして眠りに落ちて行く。演じるリバーの遠くを見つめる眼差しがなんと痛く、切なく、リアルなことよ!
内容のわりに湿っぽくならず、誰にでもわかるような感傷を直接的に描いてない映画なので、当時はガス・ヴァン・サントに仕掛けられたその矛盾に振り回されて、サッパリわからなかったけれど、いまは理解できる。
どうしていいかわからない、自分のアイデンティティはもちろん、ポジションすらわからない。明日どうなるかもわからない――そしてこんな自分のそばにいったい誰がいて欲しいのか。答えを模索してるうちに、今日が明日へと変わっていく。
もう二度と明日がやってこないリバーが演じただけに、いまとなってはどうにも涙が止まらず、観るたびに切なくなって仕方がない作品。.........have a nice day !
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リヴァァアアアアァア!!
マイスゥウィ〜〜トハァアアァト!!…落ち着け!>自分
■「マイ・プライベート・アイダホ」My Own Private Idaho(1991・米)
IMDb→http://us.imdb.com/title/tt0102494/
監督:ガス・ヴァン・サント
脚本:ガス・ヴァン・サント
出演:リバー・フェニックス、キアヌ・リーブス、ジェイムズ・ルッソ、ウド・キア
上映時間:102分
ストーリー:
米国シアトル。両親に捨てられ、睡眠発作症(ナルコレプシー)という持病を持つマイク(R・フェニックス)は、男に体を売って生活をするストリートキッズ。ポートランド市長の息子で裕福ながらも同じくハスラー(男娼)として過ごすスコット(K・リーブス)と、いつも行動を共にしていた。そんなある日、ふたりは盗んだバイクで、マイクの母親探しの旅に出るが――。
公開されたのはちょうど夏休み、外書講読レポートを徹夜で仕上げた友人Rちゃん(キアヌファン)と私(リバーファン)は、死ぬほど暑いあの京都の街をほっつき歩きながらもイソイソと某映画館まで観に行き、鑑賞後に大ショックを受け、そのまま三条京阪の「京はやし屋」へなだれ込み、閉店になるまでの約1時間30分、抹茶パフェを食べながら、侃々諤々・喧々轟々と大激論を交わした思い出の衝撃作。
リバーにとっては「スタンド・バイ・ミー」「旅立ちの時」に続く代表作であり、脱アイドル化を計って大成功し、数々の映画賞を受賞、キアヌにとっては20代に出演した中で最もその演技が褒められた(これか「リバース・エッジ」よね)、私も当時のヤツには一番よく合ってた、本当にリアルだったと今でもしみじみ思う作品であり、監督のガス・ヴァン・サントが彼らふたりの共演を願ってやまず、出演が決まったときは「夢のようだった」とまで語り、実際に出来上がった作品を観れば、たしかにリバーとキアヌ以外の配役では考えられない仕上がりで、さすが手垢のついてない若手俳優に等身大ヤングアメリカンを演じさせたら、右に出るものはいない(でもたぶん左にはジョエル・シューマカーがいる)監督だ、と私を唸らせた1本でもあるのですが。←すみません、一文がめちゃ長いですね。
男娼だのゲイだのドラッグだのを描いているので、どうしても観る人を選んでしまうのは否めないし、ガス・ヴァン・サントの特徴――説明的なセリフ一切ナシ、ドキュメンタリー風でシチュエーション垂れ流し的展開、独特の飢え(「うえ」ではなく「かつえ」と読んで下さい)と渇きとザラつきが感じられる映像、普遍的な、それこそどこでにもあるだろう米国の風景の中に、ショッキングな題材をごく普通かつ日常的なものとして織り込みながらも、伝えたいこと/メッセージは意外にシンプル、そして時間軸がはっきりしない演出ー――がニガテな人にとって、本作はツライ出来でしょうね。スクリーンに映し出されているものというより、その向こう側を観るつもりでいないとかなりしんどいと思う(自己のアイデンティティや愛を求めるストーリーは普遍的とはいえ、この映画の彼らと自分とは境遇が違い過ぎるってのもあるしね)。
1本通して観れば、リバー演じるマイクの心の旅が常に描かれているけれど、実際に彼らが旅に出るのはかなり経ってから。それまではマイクやキアヌ演じるスコットや立ちんぼ仲間たちの日常が中心的に描かれていていて、中でも私が(当時)一番ショックだったのは――プロローグ直後、「立ちんぼ」リバーが買われた客に*****されてたシーンでしょうかね。リバーってあんな表情するんだと、うら若き乙女(いやヲトメか)だった私は仰天したもんスよ。でもノッケからソレだったおかげか、あとはとくに驚くこともなかったのに、キアヌとリバーのガップリ四つに絡んだお仕事シーン(…)がいきなりキューブリック風(連続静止画)にまとめられていたところで、思わずエキサイト。いくらそんな演出を監督が狙っていたとしても(実際たしかに効果的だったけれど)、やはりいち女子としては「コラ!もっと見せんかいっ!」。…DVDが出たら、Let’sコマ送り!
…マジメに感想を書きましょう。
リバー自ら脚本を手がけたという焚き火のシーンが、とても切ない。スコットに「男と寝るのは金のためなだけだ、男同士は互いに愛せないんだ」と云われながらも、彼に愛してもらいたい、そばにいてもらいたいマイク。結果的に残酷とも云えるむごい仕打ちを受けながら、それでも彼はまた空の下に立ち――そして眠りに落ちて行く。演じるリバーの遠くを見つめる眼差しがなんと痛く、切なく、リアルなことよ!
内容のわりに湿っぽくならず、誰にでもわかるような感傷を直接的に描いてない映画なので、当時はガス・ヴァン・サントに仕掛けられたその矛盾に振り回されて、サッパリわからなかったけれど、いまは理解できる。
どうしていいかわからない、自分のアイデンティティはもちろん、ポジションすらわからない。明日どうなるかもわからない――そしてこんな自分のそばにいったい誰がいて欲しいのか。答えを模索してるうちに、今日が明日へと変わっていく。
もう二度と明日がやってこないリバーが演じただけに、いまとなってはどうにも涙が止まらず、観るたびに切なくなって仕方がない作品。.........have a nice day !
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