「グッドナイト&グッドラック」
2006年5月23日
←みなさま――ジョージ・クルーニーにどんなイメージをお持ちです?…彼は昨年、数々の映画賞にノミネートされましたけども、オスカー授賞式だったか、インディペンデント・スピリット賞授賞式だったかで、司会者orプレゼンターに「ジョージ・クルーニーが来てますね。彼はいったいどれだけモテれば気がすむんでしょう?ムカつきます」みたいな紹介をされていて、そうだろうなあ、女に苦労したことなんぞない、モテモテ独身貴族というのが、一般的なイメージだろうなと思ってしまいました。そして彼のもうひとつの顔としてよく知られているのが、「ハリウッドきってのリベラル家」。…と、ここまで書いておきつつ、俳優としてもリベラル家としても、私は彼にまったくそそられないんですよね…う〜ん、ごめんなさい。
■「グッドナイト&グッドラック」Good Night, and Good Luck.(2005・米)
IMDb→http://us.imdb.com/title/tt0433383/
日本公式サイト→http://www.goodnight-movie.jp/
監督:ジョージ・クルーニー
脚本:ジョージ・クルーニー、グラント・ヘスロヴ
出演:デヴィッド・ストラザーン、ロバート・ダウニーJr.、ジョージ・クルーニー、パトリシア・クラークソン、他
上映時間:93分
ストーリー:
1953年アメリカ。マッカーシー上院議員によって、共産主義者排除の「赤狩り」が盛んに行われ、報復を恐れるテレビ局は議員に対し沈黙を保っていた。そんな中、CBSニュースキャスターであるエド・マロー(D・ストラザーン)は、自らの番組内で彼の策謀を報道し、真っ向対決に踏み切るが――。
良くも悪くも、ジョージ・クルーニーのイメージそのまんまの映画かな。
赤狩りに怯えるテレビ各局、その中でCBSニュースキャスターのエド・マローと彼のチームだけがマッカーシーと対決していく。マローの云う真のジャーナリズムとは?…なぜ彼は伝説のニュースキャスターとなり得たのか?
モノクロで撮ったのは、時代背景的な理由というより、煙草の煙を効果的にしたかったからなのでは?…とにかく煙草とその煙がスクリーンによく映える。公共の場や職場での禁煙は当たり前な現在とは違い、放送中でも煙草を燻らすことができた時代――マローのトレードマークが煙草である以上、劇中におけるそれがいかに重要なアイテムなのか、煙の撮り方ひとつだけでもよくわかる。「煙草を燻らす」(「たばこを・くゆらす」――MACの人、読めますか?)なんて言い回しがよく似合うのに、同じモノクロ+煙草プカスカ+サックス鳴らし映画でも、ジム・ジャームッシュ(「コーヒー&シガレッツ」「女優のブレイクタイム」)のようなスノッブな印象はない。
いまや米国は禁煙大国、会見中に喫煙しただけで女優が非難される時代。しかし50年前は、キャスターが堂々と喫煙しながらニュースを伝えていた。放送中に流れるのは煙草のコマーシャル。煙草の扱いだけでも50年でこれだけ変わってしまった――では、現代における政治とジャーナリズムの関係は?
うん……マローほどの対決姿勢で真実を報道しようとする業界人は、現代に(賛否両論なマイケル・ムーアを別にすれば)いないのかも。最初は順風満帆のように思えたマローとそのチームだったが、やがて、マッカーシーや身内による妨害、他メディアからの批判にさらされる。そして50年前も今と変わらないのは、視聴者は政治よりも娯楽を好むということ。これによって、最終的にマローは窮地に追い込まれる。それでも彼は自分の意思を変えない――リベラルな発言をしては叩かれ、「よせばいいのに」と云われるジョージ・クルーニーは、だからこそマローを描きたかったのかもしれない。
政治やジャーナリズムを描いた映画は、くどく感じる場合が多いが、本作はモノクロなスタイリッシュ映像で上映時間も短く93分。「赤狩り」などの背景は米国史を知らないと厳しいだろうし、モローの語りの熱さと反比例するかのような、まるでごく普段の日常を撮っているかのような淡々とした演出、あっさりとしたエンディングは好みがわかれるだろうし、人によっては拍子抜けするはず。個人的に云えば、くどくど語られるよりずっと好感度は高い。ただし、一緒に観に行った米国人の友人がよく笑っていたため、本作はどうやら日本人には理解しにくいジョークが多くちりばめられるようだ(実際にその箇所をいくつか教えてもらったけど、どこが面白いのかわからなかった)。米国的なエスプリ(ってフランス語だけど)が効いた数々のジョークは、いかにもクルーニーらしい。だが、日本人の私にとっては、歴史うんぬん映像うんぬんより、そういった面で敷居の高さを感じてしまった。
シニカルでお洒落なジョークがちりばめれているが、内容はあくまで真摯。モノクロに映える濃い顔立ちの演技派主要キャストたちは、洗練されていてみな美しい。マッカーシー役は立てずに、そのまま現存するアーカイブ映像を使用、デヴィッド・ストラザーン演じるマローと対決させたあたりは実にスマート。…だけれども毒がなく、キレイに終わってしまったという印象。それはジョージ・クルーニーに、エスプリよりパンクを求めた私が悪いだけで、監督2作品目としては(好き嫌いは別として)よくできている…と思う。ただし、監督としての手腕を評価できるかは、純粋な娯楽作を観たときに判断しようかと。
ところで。白と黒の画面である以上、通常のカラー作品より白背景になることが多いはず。その際、日本語字幕はどうなるのか?読みづらくならないのか?…と思っていたら、白背景になったときは文字の中に黒ジャミ線(業界用語でなんと云うかわからない)を入れ、読みやすくなるような処理がされていた。ただし、人によっては文字の中にゴミが入ったように感じるかも。
■「グッドナイト&グッドラック」Good Night, and Good Luck.(2005・米)
IMDb→http://us.imdb.com/title/tt0433383/
日本公式サイト→http://www.goodnight-movie.jp/
監督:ジョージ・クルーニー
脚本:ジョージ・クルーニー、グラント・ヘスロヴ
出演:デヴィッド・ストラザーン、ロバート・ダウニーJr.、ジョージ・クルーニー、パトリシア・クラークソン、他
上映時間:93分
ストーリー:
1953年アメリカ。マッカーシー上院議員によって、共産主義者排除の「赤狩り」が盛んに行われ、報復を恐れるテレビ局は議員に対し沈黙を保っていた。そんな中、CBSニュースキャスターであるエド・マロー(D・ストラザーン)は、自らの番組内で彼の策謀を報道し、真っ向対決に踏み切るが――。
良くも悪くも、ジョージ・クルーニーのイメージそのまんまの映画かな。
赤狩りに怯えるテレビ各局、その中でCBSニュースキャスターのエド・マローと彼のチームだけがマッカーシーと対決していく。マローの云う真のジャーナリズムとは?…なぜ彼は伝説のニュースキャスターとなり得たのか?
モノクロで撮ったのは、時代背景的な理由というより、煙草の煙を効果的にしたかったからなのでは?…とにかく煙草とその煙がスクリーンによく映える。公共の場や職場での禁煙は当たり前な現在とは違い、放送中でも煙草を燻らすことができた時代――マローのトレードマークが煙草である以上、劇中におけるそれがいかに重要なアイテムなのか、煙の撮り方ひとつだけでもよくわかる。「煙草を燻らす」(「たばこを・くゆらす」――MACの人、読めますか?)なんて言い回しがよく似合うのに、同じモノクロ+煙草プカスカ+サックス鳴らし映画でも、ジム・ジャームッシュ(「コーヒー&シガレッツ」「女優のブレイクタイム」)のようなスノッブな印象はない。
いまや米国は禁煙大国、会見中に喫煙しただけで女優が非難される時代。しかし50年前は、キャスターが堂々と喫煙しながらニュースを伝えていた。放送中に流れるのは煙草のコマーシャル。煙草の扱いだけでも50年でこれだけ変わってしまった――では、現代における政治とジャーナリズムの関係は?
うん……マローほどの対決姿勢で真実を報道しようとする業界人は、現代に(賛否両論なマイケル・ムーアを別にすれば)いないのかも。最初は順風満帆のように思えたマローとそのチームだったが、やがて、マッカーシーや身内による妨害、他メディアからの批判にさらされる。そして50年前も今と変わらないのは、視聴者は政治よりも娯楽を好むということ。これによって、最終的にマローは窮地に追い込まれる。それでも彼は自分の意思を変えない――リベラルな発言をしては叩かれ、「よせばいいのに」と云われるジョージ・クルーニーは、だからこそマローを描きたかったのかもしれない。
政治やジャーナリズムを描いた映画は、くどく感じる場合が多いが、本作はモノクロなスタイリッシュ映像で上映時間も短く93分。「赤狩り」などの背景は米国史を知らないと厳しいだろうし、モローの語りの熱さと反比例するかのような、まるでごく普段の日常を撮っているかのような淡々とした演出、あっさりとしたエンディングは好みがわかれるだろうし、人によっては拍子抜けするはず。個人的に云えば、くどくど語られるよりずっと好感度は高い。ただし、一緒に観に行った米国人の友人がよく笑っていたため、本作はどうやら日本人には理解しにくいジョークが多くちりばめられるようだ(実際にその箇所をいくつか教えてもらったけど、どこが面白いのかわからなかった)。米国的なエスプリ(ってフランス語だけど)が効いた数々のジョークは、いかにもクルーニーらしい。だが、日本人の私にとっては、歴史うんぬん映像うんぬんより、そういった面で敷居の高さを感じてしまった。
シニカルでお洒落なジョークがちりばめれているが、内容はあくまで真摯。モノクロに映える濃い顔立ちの演技派主要キャストたちは、洗練されていてみな美しい。マッカーシー役は立てずに、そのまま現存するアーカイブ映像を使用、デヴィッド・ストラザーン演じるマローと対決させたあたりは実にスマート。…だけれども毒がなく、キレイに終わってしまったという印象。それはジョージ・クルーニーに、エスプリよりパンクを求めた私が悪いだけで、監督2作品目としては(好き嫌いは別として)よくできている…と思う。ただし、監督としての手腕を評価できるかは、純粋な娯楽作を観たときに判断しようかと。
ところで。白と黒の画面である以上、通常のカラー作品より白背景になることが多いはず。その際、日本語字幕はどうなるのか?読みづらくならないのか?…と思っていたら、白背景になったときは文字の中に黒ジャミ線(業界用語でなんと云うかわからない)を入れ、読みやすくなるような処理がされていた。ただし、人によっては文字の中にゴミが入ったように感じるかも。
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